大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

仙台高等裁判所 昭和43年(う)187号 判決 1969年2月18日

被告人 S・R男(昭二三・一・二〇生)

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、久慈区検察官事務取扱検事渡辺彦一名義の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

記録によると、被告人は昭和二三年一月二〇日生れであつて、被告人の本件犯行は、その少年時すなわち年齢がまだ一九年三ヵ月であつた昭和四二年五月六日午後一〇時一五分ころ、自動車運転の業務に従事し、自動二輪車を運転して、岩手県九戸郡○○町第○○地割○○○番地付近道路を時速約四〇キロメートルで南進中、折から母の手にひかれて対進歩行して来た○戸○子(当五年)の側方を通過するに際し、被告人の進路から見て、その左方同伴者との間隔が狭いから、進路を変えるなどして、これと十分な間隔をとり、適宜減速進行すべき業務上の注意義務があるのに、これを怠り、被告人の進路から見て、同人の左側に近接し同速度で同一進路を進行した過失により、同人を自車の右側部に接触転倒させ、その結果、同人に対し全治二ヵ月間を要する右下腿骨々折の傷害を負わせたという業務上過失傷害の事案である。

ところで、被告人に対する右業務上過失傷害被疑事件の捜査の経過を記録及び当審における事実取調の結果により調査すると、

(1)本件犯行直後である昭和四二年五月六日(当審で取り調べた「捜査申報書」に「五月七日」とあるのは誤記と認められる。)午後一〇時三〇分ごろ被告人により直接久慈警察署種市巡査部長派出所(のちに「久慈警察署幹部警察官派出所」と改称された。)に届出がなされたが、同派出所長である高橋勝三郎巡査部長は、前記犯行場所を受持区域として担当していた同派出所勤務の司法巡査佐々木徳とともに翌朝右犯行場所に赴き、事案がさほど複雑ではないため、同巡査部長の指示のもとに同巡査に実況見分を行なわせ(実況見分は同日午前八時三〇分に終了している。)、同巡査に実況見分調書の作成を命ずるとともにみずから同月一一日被害者の母で本件犯行当時被害者の手を引いて歩行していた○戸○ワ及び被告人を同派出所で取り調べ、それぞれ供述調書を作成したが、同巡査は実況見分調書の一部をなす「交通事故現場見取図」だけを作成したまま、受持区域内の警ら事務(いわゆる巡回連絡)処理を優先させたため、実況見分調書の完成が遅れ、ようやく本件犯行後約二ヵ月を経過した同年七月一〇日ごろに至つて前記捜査申報書とともに実況見分調書を高橋巡査部長に提出したので、同巡査部長はこれに前記供述調書、被害者に関する診断書(その日付は昭和四二年五月七日となつている。)、被告人に関する本籍照会回答書(○○町役場の回答日付は同月一七日となつている。)を添えて同年七月中旬ごろ久慈警察署に進達したところ、同署交通係員においてこれを点検した結果、実況見分調書の現場見取図に表示された距離関係の縮尺が正確でない不備があることが判明し、同年八月初旬ごろ不備の箇所を具体的に指摘して一件書類が久慈警察署から前記派出所に返送されたこと、

(2)高橋巡査部長は直ちに佐々木巡査に対し返送を受けた実況見分調書の訂正を命じ、同巡査は現場見取図を訂正するとともに、右訂正に伴い、実況見分調書中「事故発生時の模様」欄の記載をも訂正する必要を認めたため、新規の用紙を使用して書き改めたうえ、同年八月下旬ごろ高橋巡査部長に提出したが(もつとも、現場見取図に表示された距離関係の縮尺を正確にしたことの結果として、「事故発生時の模様」欄の記載をも訂正する必要がどうして生じたのかについては、当審における事実取調の結果によつても明らかではない。)、現場見取図の訂正は刃物を使用してなされたため、紙面に穴があくという不体裁のものとなり、同巡査部長も同巡査に対し注意を与えたものの、そのままこれを一件書類に加えて同年九月初旬ごろ久慈警察署に再進達したところ、同署交通係において実況見分調書及び捜査申報書に多くの誤字、脱字ないし訂正印もれ、訂正する旨の欄外表示の脱漏があることが発見されたため、間もなくこれを具体的に指摘したうえ、さらに一件書類が同署より前記派出所に返送されたこと、なお、右一件書類は実況見分調書及び捜査申報書が正確に訂正されれば、提査書類として完備する状況にあつたこと、

(3)高橋巡査部長は、返送を受けた実況見分調書及び捜査申報書について、同年九月二二日ごろから休暇中であつた佐々木巡査が同年一〇月七日ごろ出勤した際に同巡査に対し訂正を命じたが同巡査は当時遅れていた受持区域内の警ら事務の処理に追われたり、キャンプ場の巡回事務を担当していたためや当時久慈地方を襲つた集中豪雨の被害調査等に一日ぐらい久慈警察署に応援に赴いたためもあつて、同巡査部長より時折催促を受けたものの、ようやく同年一一月中旬にこれを訂正して高橋巡査部長に提出したが、その訂正の内容は、実況見分調書について字句の削除及び挿入各一個所、訂正した旨の欄外表示一個所、捜査申報書について字句の訂正三個所(そのなかには犯行場所の地番及び被害者の年齢の各訂正も含まれている。)という簡単で訂正容易なものであつて、その訂正事務自体は着手しさえすれば長くても一日以内に完了するほどのもので、地番ないし年齢の訂正に必要な調査事務を考慮しても、着手しさえすれば、せいぜい一週間もあれば完了することができる程度のものであつたこと。

(4)高橋巡査部長は、佐々木巡査より提出を受けた実況見分調書及び捜査申報書とともに、同年一一月下旬ごろ一件書類を久慈警察署に三たび進達したのち、同署において同年一二月一五日事件を一件書類とともに盛岡地方検察庁に郵送して送致し、捜査書類は同月二〇日同検察庁に到達したが、同検察庁においては年末事務処理のため同月一五日以降に受理すべき事件のうちいわゆる身柄事件及び要急事件を除くものの受理を翌年一月四日以降に持ち越すことを例としていたため、被告人にかかる被疑事件は同月五日になつて受理され、書類の表紙に「年齢切迫」の付箋がつけられてはいたものの、検務事務の処理に約一週間を費したのち、同月一六日ごろ少年係検事である渡部正和検事のもとに配点され、前記実況見分調書になお不備が認められたこともあつて、そのまま被告人が成年に達した同月二〇日を経過したのち、同月二六日同検察庁より同庁二戸支部へ移送されさらに同支部より久慈区検察庁へ移送され、その間担当検察官の指揮により同年二月二四日久慈警察署勤務の司法巡査太田屋巖により佐々木巡査を補助者としてあらためて実況見分がなされるとともに、前記○戸○ワについて高橋巡査部長の取調べ及び供述調書の作成も行なわれたほか、担当検察官において同月二一日被告人を取り調べて供述調書を作成し、なお、被告人の氏名の確認(○○町役場の前記回答書には、「S・R夫」と表示されていた。)及び前科照会をしたうえ、同年三月一五日久慈簡易裁判所に対し略式命令の請求がなされたこと。

(5)当時前記派出所に勤務する警察官は、所長である高橋巡査部長及び佐々木巡査のほか、佐藤敏明巡査の三名であつて、佐々木巡査が担当する受持区域には約三六〇世帯があり、同巡査は昭和四二年四月一日に同派出所に赴任したため、赴任後三ヵ月以内に完了する建前とされていた警ら事務に従事中に被告人にかかる被疑事件の捜査の一部を担当したものであるが、同派出所に赴任するまでに一〇件内外の交通事犯捜査実績を有し、現場見取図作成の経験があつたこと(なお、当審における証人高橋勝三郎に対する尋問調書によれば、昭和四二年一〇月ごろ前記派出所管内において小型運転試験のための講習会が行なわれ佐々木巡査もその講師として七箇所ぐらいに参画したことが認められるが、当審における証人佐々木徳に対する尋問調書によつても、右講習会に参画したことにより、佐々木巡査の実況見分調書及び捜査申報書の前記(3)に認定した訂正事務にどれほどの支障を及ぼしたかは明らかでない。)。

(6)久慈警察署交通係においては、本件少年の交通事件(業務上過失致死傷又は重過失致死傷事件を含む。以下同じ。)のうち六ヵ月以内に少年が成年に達すべきものについては年齢切迫事件として優先処理がなされることとなり、また、盛岡地方検察庁においては、被告人にかかる被疑事件を受理した当時においても、少年の交通事件のうち一ヵ月以内に少年が成年に達すべきものについては優先処理の建前がとられ、現に昭和四二年一二月二一日以降に他の検察庁からの移送により受理された道路交通法違反事件のうち二件が年齢切迫という事由により年内に処理されていること。

がそれぞれ認められる。(なお、控訴趣意中の「佐々木徳巡査が二ヵ月ぐらい警察学校に入校した」旨の主張は、証拠に照らし、これを採用することができない。)

刑事訴訟法第二四六条によれば、「司法警察員は、犯罪の捜査をしたときは、……速やかに書類及び証拠物とともに事件を検察官に送致しなければならない。」とされている注意に徴しても、前記(1)ないし(3)で認定した捜査の経過、とくに捜査着手後最終的に久慈警察署に一件書類が進達されるまでに六ヵ月余を要していることは、被告人にかかる被疑事件の事案の内容がさほど複雑でもなく、不備個所として指摘された実況見分調書及び捜査申報書の訂正も質的にいつても量的にいつても比較的容易なものであつたことにかんがみると、当時における佐々木徳巡査の事務負担量、事務処理の優先度及び事務処理能力を斟酌しても、必要やむを得ない限度を越え、遅きに失するものといわなければならない。ましてや、本件は少年にかかる被疑事件であつて、被告人が昭和四三年一月二〇日に成年に達することはその捜査当初より判明していたわけであるのに、成年に達する六ヵ月前である同四二年七月下旬ごろに至つても、いわゆる「年齢切迫」による優先処理の方針がとられないまま、同年一二月一五日になつてようやく司法警察員より検察官に対する事件送致がなされたのであり、当審における事実取調の結果に徴すると、もし、高橋巡査部長及び佐々木巡査において、実況見分調書及び捜査申報書の返送を受けたのち遅滞なく前記(3)に認定した訂正事務に着手しさえすれば、遅くとも同年一〇月中旬までには司法警察員より検察官に対する事件送致がなされ、年内に少年事件として家庭裁判所に送致されることが十分に可能であつたものと認めることができる。してみると、前記(1)ないし(4)に認定した事実関係に徴すると、本件は、警察官がその捜査に必要やむを得ない限度を超えて日時を徒過し、そのために家庭裁判所における審判の機会を失わせるに至らせたものにほかならず、保護処分優先主義、家庭裁判所先議主義をとる現行少年法制の趣意に照らして、警察官による右事件送致に至るまでの捜査手続はまさに違法なものであるといわなければならない。

原判決が、昭和四〇年から同四三年に至る間の久慈警察署及び二戸警察署管内に発生した犯時少年の業務上過失傷害事件の処理状況にもとづき、少年の業務上過失傷害事件について、「当該事件の捜査を困難ならしめる特別の事情が存しない限り、警察官及び検察官を通じて捜査に必要な期間は大体四ヵ月で、この期間内に捜査を遂げ当該事件を家庭裁判所に送致することができるものと考えられる」旨を判示していることは所論のとおりであり、右判示が事案の具体的な内容、捜査官の執務体勢、事務負担量及び事務処理能力等を検討しないままに、統計数字だけをもととして早急に捜査所要期間を算出することができるとする点において当を得ないことはいうまでもないけれども、右は警察官が捜査に必要やむを得ない限度を越えて日時を徒過し、そのために家庭裁判所における審判の機会を失わせるに至らせたものとする原判決の結論を左右するに足りるものではない。

なお、控訴趣意中には、少年法第一九条により、家庭裁判所に係属中に成年に達したものについてこれを検察官に送致すべきこととされていることを根拠として、捜査官の手もとで成年に達した者については家庭裁判所は関与しない建前を示していると主張しているけれども、むしろ、捜査官の手もとで成年に達した者については家庭裁判所は関与することができないからこそ、捜査官が捜査に必要やむを得ない限度を越えて日時を徒過し、そのために家庭裁判所における審判の機会を失わせるに至らせた違法があるかどうかを刑事手続において審査すべき必要があることとなるというべきであるから、右主張に左袒することはできない。

ところで、一般に、捜査段階における違法をすべてその後の公訴提起の手続を当然に無効とするものでないことは所論のとおりであるけれども、当該捜査手続の違法が重大なものであり、かつ、その違法な手続を前提としてはじめて公訴提起の手続が可能であつたという意味で両者が密接不可分の関係を有する場合には、公訴の提起自体がどのように法定の手続を践んでなされても、公訴提起前の捜査手続における違法は公訴提起そのものにも違法性を帯有させ公訴の提起を違法としなければならない実質上の理由が存するものとして、公訴提起の効力に影響を及ぼし、これを無効ならしめるものとするのが相当である。

本件において、公訴提起の手続がそれ自体としては格別違法な点の存しないことは所論のとおりであるけれども、警察官による捜査手続の違法は、前説示のように、少年の被疑事件について家庭裁判所における審判の機会を失わせるに至らせたという現行少年法制のもとにおけるもつとも重要な原則を破るものであり、前記(4)及び(6)に認定したように、右違法が存したことによりまさしく被告人が成年に達したのちにおける公訴の提起を可能としたものということができるのであるから、捜査手続の違法が公訴提起の手続を無効ならしめるものとして、本件公訴の提起は、結局刑事訴訟法第三三八条第四号にかかげる場合にあたるものであるというほかはない。控訴趣意に引用の最高裁判所昭和三六年六月七日大法廷判決(刑集一五巻六号九一五頁)は、被疑者の緊急逮捕に着手する以前その不在中になされた捜査差押は、時間的に緊急逮捕に接着し、場所的にも逮捕の現場でなされたときは、違法違憲ではないとするものであり、また、同裁判所昭和四〇年四月二八日大法廷判決(刑集一九巻三号二四一頁)は、事案が罪とならないことを理田としてなされた少年法第一九条第一項にもとづく審判不開始決定にいわゆる一事不再理の効力を認めることができないとするもの(つまり、一旦は家庭裁判所に事件送致がなされているわけである。)であつて、いずれも本件と事案を異にし、本件に適切でない(なお、同裁判所昭和四一年七月二一日第一小法廷判決〔刑集二〇巻六号六九六頁〕は、逮捕の際犯人に対して警察官による暴行陵虐の行為があつたとしても、そのために公訴提起の手続が憲法第三一条に違反し無効となるものではないと判示しているが、右判決も捜査手続の違法とその後における公訴提起の手続との間における密接性に関し本件と事案を異にし、本件に適切であるとはいえない。)。

また、控訴趣意中には、原判決が、本件事案は少年事件として家庭裁判所において保護処分等により終局すべきものであつたとしたことを非難し、本件を少年事件として家庭裁判所に送致したとしても、少年法第二〇条により検察官に送致されたであろうと考え得る十分な理由があると主張するけれども、現行少年法制における家庭裁判所先議主義は、少年に対する保護優先主義のもとに、非行少年について性格の矯正及び環境の調整を行なう必要があるかどうかを科学的な調査方法による科学的な調査資料にもとづいて家庭裁判所にまず判断させるべきだとするものであつて、事案の内容が少年法第二〇条による検察官への送致を相当とすることが客観的に明白なものであつても、そのことを理由として、その事件をひとまず検察官から家庭裁判所に送致すべき手続を省略することが許されないものであることはいうまでもないところであり、当該事件が少年事件として家庭裁判所において保護処分等により終局となるべきものかどうかということが、家庭裁判所に送致されるまでになされるべき捜査手続に前記のような違法があるといえるかどうかということにさほど影響を及ぼすものとは考えられない。

してみると、原判決が、本件公訴提起の手続は無効であるとしてこれを棄却したことは、結局正当であつて、原判決には所論のような不法に公訴を棄却した違法は何ら存しない。論旨は理由がない。

そこで、刑事訴訟法第三九六条により本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

検察官 中村源吉 出席

(裁判長裁判官 有路留男 裁判官 西村清 裁判官 桜井敏雄)

参考

原審判決(久慈簡裁 昭四三(ろ)四号 昭四三・五・二三判決)

主文

本件公訴を棄却する。

理由

被告人に対する本件公訴事実は、「被告人は自動車運転の業務に従事する者であるが、昭和四二年五月六日午後一〇時一五分ころ、自動二輪車を運転し、岩手県九戸郡○○町第○○地割○○○番地附近道路を時速約四〇粁で南進中、母の手にひかれて対進歩行してきた○戸○子(当五年)の側方を通過するにさいし、その左方同伴者との間隔がせまいから、進路を変えるなどしてこれと十分な間隔をとり適宜減速進行すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、同人の左側に近接し、同速度で同一進路を進行した過失により同人を自車の右側部に接触転倒させよつて同人に対し、全治二か月間を要する右下腿骨々折の傷害を負わせた。」というのである。

被告人は昭和二三年一月二〇日生れで本件犯行時は一九年三か月の少年であつたところ、本件所轄警察は本件を捜査し、昭和四二年一二月一五日付で検察官に対し、本件の送致手続をなし、検察官は昭和四三年一月五日右送致を受理し、本件について、少年法四二条による家庭裁判所送致の手続を経ることなく、被告人が成年になつたのちの同年三月一五日公訴を提起したことは、記録上明白である。

少年法は少年の健全な育成を期する見地から少年事件については、いわゆる家庭裁判所先議の原則を採用し、その手続や処遇に関し、保護的な特別の措置を講じている。そして、家庭裁判所が刑事処分相当と認めて、少年事件を検察官に送致しない限り、検察官は、当該事件につき公訴提起ができないことになつている。そこで少年法の趣旨からすれば捜査官としては、少年事件につき、その少年が成年に達する前にできる限り捜査を遂げ家庭裁判所における審判の機会を与えるべきである。

いやしくも捜査官が少年事件の捜査に必要やむを得ない限度を超えて、いたずらに日時を費し、当該事件につき家庭裁判所における審判の機会を失わせるに至るが如きは許されないのであつて、かかる捜査手続は少年法の趣旨に反し、違法であり、そして、当該捜査手続の違法が重大で、かつ、その違法な手続を前提としなければ、公訴提起が不可能ないし、著しく困難であつたという意味で両者が密接不可分な関係を有するような場合においては、公訴提起自体が、いかに法定の手続を践んでなされていても、なおこれを違法としなければならない実質上の理由が存するものとして、捜査手続の右違法は、公訴提起の効力に影響を及ぼし、これを無効ならしめるものと解されているのである(仙台高等裁判所昭和四二年一〇月一七日刑二部判決参照)。

ところで捜査官が少年事件の捜査に必要とする期間は、事案ごとに異なり、一概に決し得ないのであるが、この点に関する昭和四〇年から同四三年の間における犯時少年の業務上過失傷害事件処理状況調によると次のとおりである。事件発生から検察官に事件送致されるまでの警察の捜査期間は、本件所轄警察においては二か月ないし一一か月である。しかしこれは二戸警察における一か月ないし三か月に比べ、あまりにも差異があり、必要以上に期間を徒過しているのではないかとの疑問が生ずるのである。右事件送致を受けてから家庭裁判所に事件送致されるまでの検察官の捜査期間は、約一か月である(久慈および二戸区検察庁検察事務官向井田および佐藤作成の各報告書参照)。従つて少年の業務上過失傷害事件については、当該事件の捜査を困難ならしめる特別の事情が存しない限り、警察および検察官を通じて捜査に必要な期間は大体四か月で、この期間内に捜査を遂げ、当該事件を家庭裁判所に送致できるものと考えられるのである。

そこで、本件が少年事件として家庭裁判所に送致され得たものかを検討する。本件事案は前記のとおりで、被告人は本件事故直後、本件所轄の警察に事故の発生を届け、警察の取調べ以来、事実を認めており事案はとくに複雑でもなく、また関係人も少なく、所在も一定し明らかで、取調べに特別困難な事情もなかつたものと考えられるし、当該事故発生から被告人の成年に達するまでの期間は、八か月余りもあつたのである。本件所轄の久慈警察署長作成の「交通事件送致について回答」と題する書面および盛岡地方検察庁検察官検事渡部正和作成の「手持少年事件を家裁送致前年齢超過させた事由等について」と題する書面を検討するも単に本件捜査が遅延した事由を述べているに過ぎないのであつて、本件捜査の遂行を困難ならしめたと認められる特別事情は何等見出し得ないのである。従つてたとえ検察官が本件の送致を受けたときには、本件を家庭裁判所に送致するため、その処遇意見を付するに必要な期間が存しなかつたとしても、警察において、遅滞なく捜査を遂げ、検察官に対する事件送致をしていたならば、本件は、当然に検察官から少年事件として家庭裁判所に送致され得たものであると考えられるのである。

被告人は、中学校卒業後、父の農業を手伝い昭和四一年四月一二日に普通免許を、昭和四二年二月二〇日に二輪免許をそれぞれ取得し、以来車両を運転してきたものであるが、本件の事故前後において、道路交通法違反や交通事故を犯したことなく、他に前科、前歴も有しないのである。本件事案は前記のとおり、歩行者に全治約二か月の重傷を負わせたものではあるが、これは被告人が被害者との間隔を誤認してその直近を進行したことによるものであつて、その過失の程度は必ずしも重いとはいえないし道路中央寄りを歩行していた被害者側にも多少の過失があつたものと考えられるのである。被害者の母親は、被告人が適切な救護をなし、入院中の被害者をたびたび見舞い、治療費も勘定日の都度支払い、多額の見舞金を出したことに感謝し、被害者も全治したので、被告人のもとまで御礼を述べに行つたというのである(○戸○ワの昭和四三年二月二四日付司法警察員に対する供述調書参照)。以上のような事情を考慮すると、もし本件が少年事件として家庭裁判所に送致されていたならば同裁判所の保護処分もしくは保護的措置を受けることにより終局したかも知れず、必ずしも本件が検察官に送致されるものとは限らなかつたのではなかろうかとも考えられるのである。

本件は前記のとおり、被告人が成年に達した後、公訴が提起されたものである。従つて本件公訴提起それ自体は形式的に違法でないように見えるのであるが、前述のとおり捜査官とくに本件所轄警察が本件捜査に必要やむを得ない限度を超えていたずらに日時を費したため、本件につき、家庭裁判所の審判を受ける機会を失わしめたもので、右捜査手続は少年法の趣旨に反するものであり、その違法は重大である。そして、右違法の存したことがまさに本件公訴の提起をもたらしたわけのものであるから、前述したとおり、捜査手続の違法が公訴提起の手続を無効ならしめるものとして、本件公訴は結局刑事訴訟法三三八条四号の場合に該当するものといわなければならないので、本件公訴を棄却する。

(裁判官 上田愛次)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例